春夏秋冬という4つの四季がある日本では、通常よりも雨が多く降る時期があり、それぞれの季節ごとに、降る雨には違った呼び名があります。
その中の一つ、3月半ばから4月前半にかけて降る雨のことを菜種梅雨(なたねづゆ)といいます。
梅雨といえば、夏を思い浮かべると思いますが、5月から7月下旬頃まで続く雨は、停滞前線によるものであり、この停滞前線を梅雨前線というのに対し、春の停滞前線は春雨前線と呼びます。停滞前線は、その時期によって呼び方が変わり、秋であれば秋雨前線となります。
菜種梅雨という言葉は、多くの方があまり聞き慣れない言葉ではないでしょうか?
この時期は、関東南部の方から九州にかけてアブラナが開花しています。一面黄色い花が咲くアブラナは、古くから野菜として油を採るために栽培されてきた作物であり、成長過程によって呼び名が変わるのが特徴です。若い葉をつけている時はアオナと呼ばれ、黄色い花をつけている時は菜の花と呼ばれ、花が散り種子ができた時をナタネと言います。
このことから名付けられた菜種梅雨は、冬に日本に停滞していた高気圧が北上していく所に、南からの春の風が押し寄せてくることで、日本列島の南岸沿いに停滞前線が発生することで起こります。
南岸沿いで発生するため、関東よりも西側で起こり、東北地方ではほとんど起こることはありません。また、梅雨と名付けられてはいますが、夏の本格的な梅雨に比べると、激しい豪雨や突然滝のように降るなどの雨ではなく、比較的穏やかなシトシトと降る雨が続く傾向にあります。菜種梅雨の時期は短く、春といっても冬の終わりから春の始まりである早春の時期の頃です。
菜種梅雨は、春の長雨や催花雨(さいかう)、春霖(しゅんりん)などと呼ばれることもあります。それぞれ同じ意味を持つのか気になるところだと思いますが、春の長雨は、桜を散らす雨と言われており、鹿児島の方では桜流しと呼ばれているそうです。催花雨は、桜をはじめとした色々な花を促す雨という意味合いがあります。
催花が菜花になり、菜花雨から菜種梅雨になったという説があることから、菜種梅雨と呼ばれる以前から催花雨と言われていたということになります。春霖は、春霖雨ともいわれ霖の1文字で長雨という意味を持ちます。それぞれの意味としては、春に降る雨ということは共通しているものの、同じ雨でもどこか時期や視点が違う感じが読み取れることから、様々な呼び名が生まれたのだろうと感じることができます。
冬の寒さから春のあたたかい季節への移り変わりの時期は、黄色い菜の花や優しい桃色の桜、他にも色鮮やかな花が色付く季節です。
この頃の雨には他にもたくさんの名称があり、草木や花にまつわる意味を持つ名前が多く付けられています。
菜種梅雨は、その中でも菜の花を視点に付けられた名前。雨が続くことはあるものの、一面に咲く黄色い菜の花は、気分を明るくしてくれる素敵な力を持つ花です。そんな菜の花は、多くの俳人に好まれていたことがわかります。菜の花や菜花、菜種を使用した俳句は多く、その中からいくつかご紹介したいと思います。
菜の花や 月は東に 日は西に
これは与謝蕪村(よさぶそん)の代表的な一句であり、画家としても活動していた与謝蕪村の俳句は、読むと情景が目に浮かびます。菜の花と月と日それぞれの存在を主張した風景画としても表すことができ、菜の花の黄色が太陽に照らされながら日が沈む様子が想像できます。
菜の花の 中を浅間の けぶり哉
これは、小林一茶が故郷の長野県で見た風景を表した一句です。長野県の浅間山の緑と菜の花黄色、空の青さを伝えています。
寺ありて 菜種咲くなり 西の京
これは正岡子規(まさおかしき)の数多くある菜の花を詠んだ俳句の中の一つです。短い生涯の中で、約20万を超える作品を残した正岡子規は、俳句と短歌の名付け親であることから、多くの有名な作品を残しています。
菜の花の 中へ大きな 入り日かな
夏目漱石の一句です。菜の花畑に夕日が沈もうとしている様子が浮かびます。夕日に照らされた菜の花が、深い色に移り変わる様を描いているように思えます。日本近代文学の代表作家でありながら多くの俳句も残している夏目漱石は、正岡子規と生涯の友人でした。
この他にも、菜の花にまつわる俳句は多く存在しています。
春の季語としてたくさんの俳人に好まれていた菜の花は、現代でも俳句のコンテストなどで題材にされており、小学生から大人まで多くの人に詠まれています。
梅雨と聞くと雨のイメージからどんより薄暗い様子を想像しますが、菜種梅雨は菜の花が黄色くとても明るい光景、冬が終わり春の暖かさが訪れる陽気なイメージがあります。雨の合間の晴れた日に、菜の花畑に足を運んでみてはいかかでしょうか。黄色い菜の花が一面に広がる菜の花畑は、気持ちも明るくなる素敵なパワーがあると思います。